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恐怖と『病み』に関する防備録


最近、睡眠が不安定で部屋を暗くすると異常に怖くなります。
いてもたってもいられなくなって妙にテンションが高揚してしまいます。
しかしながら決して「ポジティブな気持ち」からくる高揚感などではなく、理性という制御が効かないエンジンのような状態です。

さて、そんな訳で外、深夜の寒ーい外へフラフラ歩きに出るんですがね。
ここで「異様なコト」に気づいてしまいました。

というのも「落ち着かない」「パニックになる」「無性に恐怖を覚える」これらの状態から、まず「自分は病んでいるのではないか?」という考察を行ってみたんですがね、どうも辻褄が合わない。

僕の考える「病む」とは、むしろ暗闇を好む傾向にあるとおもうのですね。
3年ほど前でしたか、いつも僕はその時期を「ダークサイドに堕ちた」と表現しているのですが
あの頃はほんと「暗闇に魅せられていた」毎日でした。

あの頃も、夜中しょっちゅう近所を徘徊したり、何も持たずに朝方までひたすら歩き続けたり(字のまんま『何も持たず』にです)、あとはなんでしょうか、とある山へフラっと赴いて、2時間ほど歩いたところにある、とあるダムの近くにある公園のベンチでなぜか「自分の声を録音し」(2代前のiPhoneに当時の録音が残っています)そのままダムをグルッと回りながら、高速道路わきのトンネルを2回もくぐり抜け(2回目はたしかに「感じました」)気がつけば、山に入る前の人通りの多い道路に出て、家に帰って親に「今日はどうしてたの?」的な事を尋ねられて、「〜に行ってた」つ答えると、親は「あんたそこ....」




















「自殺の名所だよ?」













的な事を言われて、続けてトンネルで「感じた」事・なぜか人通りの多い道路に戻ってこれた事を話すと、「それは多分『まだ早い』と返されたんだよ」と言われました。

さて、本題に戻りましょう。この「ダークサイド期間」において、僕は疑う余地もなく暗闇に対して心地よさを抱いていました。
仕事がやっと終わって、ヘトヘトで家に帰って、あつ〜いお風呂に浸かって、風呂あがりにキンキンのビールを飲んだ時の「至福・幸福」にも似た感覚を抱いていました。

しかしながら、最近は逆に「暗闇」が異常なほど怖い。その癖眠れない。目を瞑ってベッドに潜り込んでひたすら耐え続ける。しかし、目を瞑っても待っているのは暗闇。恐怖が募って「言葉にできないような」妄想が止まらない。誰かが見ているような気がして、ベッドから動けない。しかも寝れない。耐え切れなくなった僕は部屋の電気をつけ何も考えないように、さっさと身支度を始め外へ出る。寒い暗い、しかし完全な闇ではない。該当に照らされた住宅街はまるで廃墟のような異質な「臭い」を放っている。恐怖から逃れる為に外へと逃避したはずなのに、全く持って逆効果。ビルの窓から、誰かが覗いていたらどうしよう。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い...。


さてまとめに入りましょう。とりあえず僕が最近気になる事は「いわゆる『健常な人』が『暗闇(夜)に恐怖感を抱き、『明かり(太陽)に安心感を抱くのはごく当たり前である」というこれまでの(自分の中での)常識は果たして正しい認識なのかなと疑問を抱いている事です。「『暗闇(夜)に心地よさを覚える・抱く』『明かり(太陽)が見える時間帯は活力が無くなる』つまり「精神的疾患の最もたる例」を自分の中だけで「ルール化」してしまうと、とんでもない事になってしまうのではないのか?なんて思ったりもしてます。

とりあえず寝ます(寝れない)
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