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責任


なにかモノゴトを考える時に、自然と「原因」ではなくて「責任」を考える癖がついてしまっているような気がしてならない。

例えば何かしら悩むとする。悩んでいる時は、まるでこの世の終わり、世紀末を迎えてしまったかのような気持ちになる。

さて、この事態に陥ってしまった時、自分の脳内を支配してしまう考えは「何を為すべきか?」という解決法ではなく「どのように回避するか?」という回避法が多い事に気付いた。いや、気付いたと言ってしまえば嘘になる。正しくは僕は現在において、回避法しか実行に移せない性格である。と言おう。

解決法と回避法は同じではないのか?という意見が聞こえてきそうだが、全く違う。回避すること自体が解決に繋がるのではないか?と言われればやっぱり違う。人間どうしても回避せざるを得ない状況も出てくるだろうが、本記事における回避とその指摘が意味するところの回避は全くの別物であり、雨が降ってきたと耳にした途端に、どこにキャンディが落ちているのかね?なんて野暮な指摘をするか如くである。

話を戻そう。

解決法は悩み事それ自体を綺麗さっぱり引っこ抜いてしまう事。虫歯に例えるなら、虫歯に侵された部分を全て綺麗さっぱり削り取る事。

回避法は同じく虫歯に例えると、治療に行かず、冷やしたり温めたり、痛みが引くまで放置し「なかった事にしてしまう」モノゴトの本質にそもそも向き合う事すらしていない。すなわち回避するという事である。

本題に入ろう。僕は、「モノゴトを考える時に、原因ではなく責任を考える癖がついてしまってる気がしてならない」と書いた。先の例え話を軸にして加えて続けると、責任を主体に考えるから、回避法ばかり選択してしまうのではないかと思わざるを得ない。原因を素直に受け入れるだけの余裕すらないから、何か別のモノに責任をなすりつけて回避するのではないかと。

自分に降りかかる「罪」の意識に耐えきれなくなって、何かになすりつけて回避しようとする。この行為に対してさらに罪悪感や自己嫌悪を募らせる。

加えて、この状態を眺めるもう1人の自分の存在があるのならば、つまり余裕があるはずなのに、なぜメタ的な視点に立てるだけの余裕があるはずなのに、なぜ原因そのものを受け入れる余裕を空ける事が出来ないのか。

原因を原因として受け止めてしまえば、こんなにも悪循環に陥る事などないのにと、またしても責任を誰かに見出そうとしている僕であった。
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