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メモ 11/4

もはや他人に対して「その人個人を見る」事が非常に困難となってしまったような気がする。

何かしらのイベントによって「そこに人間ではなく彼や彼女それ自体が確かに存在している」と思い知らされたような気がし、自分以外にも自分を持つ個人が「ちゃんと」存在しているのだなあと驚愕してしまう。。だがしかし、だんだんと時間の流れに伴ってその素直で人間らしい感情が鈍ってしまう。

この状態に陥った時、自分=僕が何かを観測するべき任務を負ったかのような錯覚、自分=僕は自分自身をメタ的に捉える事ができる「特別」な存在だと思い込む。いや思い込みたい意思が働く。なるほど、その意思こそ自分の素であり、僕自身のアイデンティティなのか。

インターネットでの交流は刺激に満ちているし、依存性が凄まじい。普段「所詮はネットと」高を括ってはいるが、少しばかりインターネットの世界から自分を遮断してみたら、10分もしないうちにその中毒性に気付かされた。

インターネット、特に電子文字を中心としたコミュニケーションは、相手を人として見る当たり前の機能を低下させてしまう。少なくとも僕はそう感じた。

僕の感情を思ったままに伝える手段がインターネットしかないというのも皮肉な話である。
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