頭がこんがらがって中々行動できない人


自分は常々色んなことを考える訳ですが、それらの考えは常に一定の規則性を持っている訳ではなくて、まさに「カオス」という状態で様々な考えが脳内を駆け巡っては目まぐるしくて堪らないです。

たまに誰かしらと話した時に「考えすぎ」「そんなに考えたことない」と意見される事が多いのですが、考えない人間などいないと思うんです。

「考えすぎ」という意見が一般的に指す事柄は「ある一定の規則性をもち、大まかな終着点を見出した上での『考え』」だと自分は思います。
例えるなら「Aという悩みに対してBという行動をするか、しないか、或るいわ別の案へ転換するか」という起承転結よろしくな一連の流れを持つ考えであります。

しかしながら自分の「考える」は始点も終着点も明確に定められておらず、数秒から数時間の過程を経て自ずと一旦停止となる事多いです。

「考えすぎ」という言葉を相手に使う時は、その考えが「一連の流れを持つ考え」なのかいわゆる「哲学的迷宮に迷い込んでしまった場合の考え」なのかを慎重にかつ自然に判断する事が重要はないかなあと思います。

哲学的苦悩に陥ってしまった、いわゆる現代的な社会システムに従順な一般的な人達は、現実的なトラブルや苦悩に対しては淡々と解決策を考慮する事ができるのですが、逆に哲学的苦悩に迷い込んでしまった場合もはや為すすべを失うかと自分は思います。

そんな時まずやるべき事は、相手の存在を無条件に受け止めてあげる事じゃないでしょうか。

哲学的苦悩の根本、すなわち心臓部分はなぜ生きるのか?にあると思います。自分は哲学的苦悩に襲われた時、どうしようもない孤独と死への恐怖で身動きがとれなくなってしまう事が多いです。
いわゆる友達がいない自分にとって、まず最初に取り掛かる事はイマジナリーフレンドよろしく、架空の親友を創り出す事にあります。その親友は言い換えれば自分自身の鏡であり、終了思考停止
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