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毎日毎日ダラダラ過ごしてしまう人は目標ではなくて、圧倒的に同志が少ない



なーんで毎日生きてんだろうなー
なんかだりいーなとか

そう思って、なんでだろーなーと考えると、そうかー目標がねーんだなーと。

ところがこれは実は違って、目標じゃなくて同志が少ない或いはいないだけだなーと。

理解者って奴ですねまあ。自分の事を分かってくれる人。でもでもただ理解者であるだけじゃダメなんですよね。

理解者って表現だとどーしても、「わかってほしい!」という感情がメインになっちゃう。

わかってほしいばかりだと人には限界がある。人には人の気持ちなど完全にわかりやしない。だーからどっかで限界がくる、そしてついつい期待してしまう。

期待ってその字のごとく「待つ」訳で、ずーっと待ってると疲労コンパイル。疲れちゃう。

だから僕は同志が好きだ。漠然とした未来が朧気にも見えている、自分と同じように漠然とした何かに挑もうと、そしてなかなか上手くいかない人達。

仲良く馴れ馴れしく、依存しあうのではなくて、共に戦おうとせんとする同志。

そんな人さえいれば、とりあえず心強い。見えない何かと常に戦っている人達は自分だけじゃないという自信に繋がる。

圧倒的な師も必要だけど、師はいつも一歩先をゆく。だから置いてかれて、追いかけてもやっぱり引き離されて。そんな時自分と同じレーンを走る同志がいれば励みになる。競争心が芽生える。

同志はみな先を走る師に追いつこうと、追い越そうという目標を持つ。それと同時に隣を走る同志を引き離そうという目標も持つ。

競争心という奴です。ダーウィニズムとも言えるかな。ちょっと意味は違うけども。

動けない人、ダラダラしちゃって自己嫌悪に陥る人ほど、師しかみていない。となりの同志を見ていない。だから僕は同志が欲しい。だけども実際のところ僕は師しか見えていない状況哉。

もしかすると僕自身が師なのかもしれない。そう思い込みたいのかもしれない。そうすれば何も見えなくすれば、一生独走してられるから。だからこそ寂しいのかもしれない。

僕は強いのではなくて、弱すぎるのかもしれない。だから同志が怖いのかもしれない。ずーっと師でありたいのかもしれない。負けるのが怖いのかもしれない。独走しすぎて自分の世界で走り続けるのは、ハムスターの回し車よろしく、敵はいないが前にも進まず、ただ疲労するだけ。

こんな感じで感情を、整形されていない感情を吐き出す作業を繰り返す事で今日もとりあえずは、空っぽの目標を見出して死ぬように生きている次第。
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