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頑張ろうとしてるんだけど上手くいかない人へ


物事が上手くいかない人ほど、根本的問題を解決する手法は大抵わかっているもんですね。

前にも書いたんですけど「なぜだかわからないけど、何をやっても上手くいかない」という思考に陥ってるときに限って、自ずと何が良くないのかわかってる場合が多いです。加えて何を成せば解決、もしくは現状をとりあえずは打破できるかも。

何がよくないのかわかっているからこそ、自分の目の前に圧倒的な壁を連想しては底知れぬ無力を痛感してしまうのではないのでしょうか?

さて。「とりあえず」の道を選ぶと後で余計に面倒な事になるもんですね。この道を選ぶ人ほどこれまでのツケー経験ーからもそれは痛いほど身に染みていることかと思います。それと同時に身に染みすぎて感覚が麻痺してるのもあるでしょうけど。

悩んで悩んでこの道に進む人は結局のところいないと思います。多少言葉は厳しいのですがその「とりあえず」は苦悩の結果ではなく「甘え」なのですから。これもまたツケ払い常習の方々にはよくわかることでしょう。

その場しのぎを選択する人はどこかの哲学人よろしく「目の前の壁を見えなくさせた上でまたその壁に向かって歩き出す」にすぎない訳で、根本的な解決。つまりは壁を乗り越えたり、壁を破壊したり、壁とは逆方向を進んでみたり...を試さない(せない)のだろうなあと。

ある意味ではツケ払いのプロであり、ポジティブシンキングの持ち主であれば、これを武器として生きてゆけるのだろうなあと。

だけどもそんな図太く楽天的な性格ならばそもそも混沌とした悩みとは無縁な訳です。


さてさて。「甘え」られる人はまだいいんですよ。ところがどっこい。甘えられず悩みに悩んで気づけばプツッと繋がりの糸を自ら絶ってしまう。人生最後の「甘え」を哀しい方法で選んで迎えてしまう人に僕はやるせなさを抱きます。そしてそのやるせなさも、ミーハーなナショナリズムよろしく、一過性にすぎないという現実もまた皮肉なものです。

どちらにせよ、大抵の混沌とした感情は自分の中での「義務」に背くことから生じる罪悪・背徳感から成り立つ場合が多いんじゃないかと僕は思います。

~をしていないから、~に反しているから、そんな自分を許せない。だけどどこかで許している自分がいるのもまた事実。そしてそれらの矛盾との葛藤...。じゃあもう「罪悪」なんて意識すらなかった事にすればいいんじゃないでしょうか。

そんなものを頼るから、そして依存するから「自身の秩序=~でなければならない」という世界から抜け出せないのではないのでしょうか。

もう2世紀も前に同じ様な(というより僕がパクってるだけなんですが)事を宣言した人がいます。

「神<悲劇>は死んだ!」

正確に言えば
「神<悲劇>なんてとっくの大昔に死んでいた!」なんでしょうけど。

あなたはきっと「自分の中に神を見出して、自分の現状を全て神になすりつけて、全ての問題は自分とは無関係なんだ」とどこかで思ってるんじゃないでしょうか?「自分はダメだ。自分の行いが悪い。こんな私で申し訳ない」と懺悔すれば神が許してくれる。と期待しているのではないでしょうか?

神は死んでいる。まずはそこからスタートしてみてはいかがでしょうか?

強さとは自分1人だけでなんでもできるという自惚れではなくて、自分1人でも誰かの力になれるという自信だと僕は思います。

あなたを救ってくれる人は神よりも神々しいあの人かもしれません。
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