スポンサーリンク

ツイッターのTLを眺めている時思う事があるんですね。


TLをボケーっと眺める時にあなたは「誰が、どんなツイートをしているか」って意識します?

僕はしません。どんなツイートがあるのか?ってよりかは、ツイートがあるかないか。そう思ってツイッターに(TLに)接しています。

ツイートがあったら、そのツイートに対して少しばかり特別な感情を抱いたならば、さて僕はこのツイートに対してどう反応してやろうか?といろいろ策を練る訳です。

そこでツイートされる僕の空中ツイート(或いはリプ)は全て、言ってみれば劇作家のそれと同じ策略がバックグラウンドにあるんです。


例えば。
自分自身にとって客観的にいわば「社会的に」許せない!!ってツイートが流れてくるとしましょう。

顕著な例で言えば「特定のコンテンツに対する1次元的なユーモア・皮肉性・遠回しのメッセージ性すらも伺えない」「~とかクソじゃんwこんなの見てる奴って~じゃないのw?」系のいわゆる釣り系ツイート。

そしてそれに釣られる「1次元的な」お魚さん達。つまりこれに該当するのが、ツイッターをいわばメタ的に見れない(悪いことではない、むしろ人間的であってそれはそれで魅力的ですが)人達。

僕は基本的にはそういうツイートがTLに流れてきても「あえて触れない」訳ですが(それに関わっている事自体がユーモアへの冒涜)、たまに「冒険」して見たくなる時があって、あえて「センスすら伺えないような文体」を用いてツイートする事があります。

この時僕の心情としては、やはり「自分のツイートはあくまでも『演出』である」という絶対条件が前提にあるのですが、これって僕の精神領域の話であって、赤の他人には伝わりません。当たり前なんですが。

そんな訳で、僕がみなさんに提案したい事は、最初に申し上げた通り「どんなツイートなのかは」あくまでも副産物であって、余程の事がない限りは「とりあえずツイートがある」という事実を最優先に念頭へと置いて接して欲しいのです。

そうすれば、1次元的な感情でツイッターを眺めるお魚さん達も「誰が~をツイートしてたから」なんて、たかが他人の精神領域をあたかも自身の問題として取り扱ってはくたびれてしまう。

なんて事にもならないかなぁなんて。


はい。多分僕が書きなぐってる事ってわけわかめだと思うんですよね。
これは自分でもよくよくよーく分かってるんですけど、なんで僕がこんな複雑でそれでいて日本語的におかしい文章を書くかって言えば、僕の活動(?)の根はネット配信。つまり自分の声で伝える事にあるんですよね。

そのネット配信ってのが、ブログのタイトルにもURLにもしれっと混ざってますが「ねとらじ」という奴でして、超簡単に言えば僕はここで約7年間だいたいずーっと1人で喋り続けてきたんです。

となると、喋る相手がいない(リアルタイムでリアクションを起こしてくれる相手がいない)もんだから、ずーっと一人漫談をする訳です。

そうしたら結果的に「1人で納得しちゃう」癖がついてしまって、これはヤバイぞと、比較的相手との距離が近いツイキャスもやるようになったんですが、どうしても厳密な意味での「コミュニケーション」が出来ない。

「これを言えば、こうしてああしてこう振る舞えば、『配信的」にはおもしろいんじゃないか」そういう衝動が常につきまとう。

ツイキャスを通じて、ツイッターを通じて、インターネットを通じてたくさんの方々と知り合い、たくさんのお話をしました。
いわゆる個通ってやつですね。

そんな時にどうしても漫談家スタイルでとにかく喋り通してしまう。相手の言葉をつついてジョークを言ったり、個人と話しているのにいつもどこか「第3者の目を感じ取りながら」室長くんであろうとしてしまう。

これが僕のネットで生きる術でもあり、同時に首を絞めているという皮肉さ。しかしその皮肉性にすら魅力を抱いてしまっている。

そんな訳で、僕がこのブログでいつも訳の分からない思想を書きなぐっているのは、せめてもブログだけでも「素直」でありたい。そんなどーでもいいお話でした。

あれ?ツイッター関係なくね?
まっいいか。
←クリックで励みになるゾ
スポンサードリンク