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なんかググってて「〇〇するための~つの法則」みたいな記事がヒットするとうわぁ...って思っちゃう現象


こんんばんわ!@スクネの~です!
小話



なんか目次いろいろ



謎の外国人・風景画像とか(いわゆるアイキャッチ)

記事本文。(さほど長くない)





みたいな「ブロガー様」の記事に出くわすと「なんか個性ねぇなぁ~」とか思っちゃうんすよね。
自分が知りたかった情報が確かにそこにありそうなんだけど、サイト(というか記事の構成)の見た目が自分にそぐわない、なんか香ばしいなぁ~と思うとすぐブラウザバックしちゃいます。

反対に昔ながらの(?)テキストびっしりだとか、日本語構成なんか気にせず書きたい事を書きなぐってるブログさんはすごい好きです。

さてさてここでより深い訳の分からない話をし始めるんですけども、注意してほしいのが「中身あるか、ないか」が重要って訳ではないんですよね。

上記にある「テキストびっしり」って部分。ぱっと見た感じ「テキストびっしり=中身がある」から好き。って思われかねないんですけど違います。あくまでも、「テキストびっしりに詰め込んで、書きたいことをひたすら書きまくってる(ように見える)姿勢=スタイル」が好きってだけです。

つまりつまり例えば。一部のJKが大学生に対してブランドを感じる時って「大学生であるから→素敵!付き合ったらステータスじゃん!!」って思考・行動パティーンが根底にある訳じゃないですか?
そのお相手大学生くんが一体全体どんな事に興味や関心を抱いているのかだとか、大学生くんなりの哲学や美学はなんなのかとか、その大学生くんという個々の人間をもっと深くまで知りたいし、もっともっと歩み寄ってゆきたいなぁ。なんて考えちゃいないじゃないでしょうか?。あくまでも「大学生と付き合ってる私素敵」って感情が主役なんですからね。

それと同じような感覚で、僕の「テキストびっしり」うんぬんもまた、そのようなスタイル=大学生のかれぴというスタイルと同じですと訳の分からないたとえ話をおっぱじめた具合です。

という事で、ズバッと結論だけ書いとくと「僕は他人を見るときに相当『見ため』を重視する傾向にあるんだなぁ」と改めて思いましたよって話です。見た目が重要おじさんなんですね僕って。

だけども見た目が大切って書くと辺に誤解されかねないので、苦し紛れの言い訳的な補足を記しておきます。

というのも、僕って基本的に人を嫌いません。いやほんとマジで。なんでかって言うと、「そもそも最初の段階。つまり誰かと知り合いの関係になる以前に、先ほど申し上げた『見た目』で人を判断してから、自分の知り合いカテゴリーにその人を加入させるかさせないか決めてるんですけど、そこでカテゴリーから省かれた(加入されなかった)からといってその人が嫌いって訳でもなく、ただ単に「興味ない」ってだけなんですよね。

要は僕にとって「こいつは知り合いだ」って思ってる人の中で一人も嫌いな人はいません。それから嫌いになる事も絶対にありません。別に仲良しこよしごっこをしたい訳じゃありませんけども、それが僕にとっての普通なんですよ。例えがクソってますが、知り合いをゲームソフトに例えたとして、飽きたからってそのゲームを「嫌い」になります?ただたんに興味が薄れるだけでしょ。

だけども周りの人って結構誰かを嫌う行為に寛容というか、潔いというか。潔さの部分については僕もうらやましいなぁとか思いますけど、そう簡単に嫌いになれちゃうのって悲しいなぁ~ってなります(とても酷い事をされた場合を除いて)子供の喧嘩レベル、もしくは被害妄想系ならば、嫌いになるんじゃなくて、「とりあえず置いておく」「なんか秋田犬~」って選択肢の方が精神的にも楽になるんじゃないかなぁとか思ったり思わなかったり。

以上クソ記事でした。



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